東 京 支 部 掲 示 板


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[359] 巻菱湖『假名字源』(其一) Name:苹@泥酔 Date:2010/01/05(火) 03:48 [ 返信 ]


假名字原
「い・い」みな「以」の草書なり。
涅槃経の「伊」字、下(?)より出たりと
いふ。僻説といふべし。「い」。
「者」ならひに訓にとれり。
「は・は」は「盤」、「は」は「半」、「は」は
「破」なり。「ば」は「婆」濁音なり。
「に」は「仁」。「に」は「二」。「に」は「耳」。
「に・に」は「尓」なり。
「ほ・ほ」は「保」の訛省。「ほ・ほ・ほ」は
「本」。「ほ」は「寶」也。
「へ」は「反」の末筆なり。古抄本
分注に反切の「反」を省きて
「へ」につくれり。これは新井
白蛾の説なり。「皿」の草書
「皿」より出たりといふはあやまれり。

 草書の「下」らしき字は誤読かも知れない。「僻説といふべし」の後の「い」は「意」の草略に見える。〜なぜここでいきなり涅槃経が出てきたのか、また新井白蛾とは誰かも全く分からない。あたしゃ碌に調べもせずにただボケーッと読んでるだけだけど、打鍵中に訳もなくホホホと空笑いしたくなるのは、それだけ頭の中から幕末期の文字情報が抜け落ちていく自虐的快感に陶酔しかかってるって事なのだろう。脳味噌どっちらけ。とほほほほ。続く。(たぶん。)


[362] 巻菱湖『假名字源』(其二) Name:苹@泥酔 Date:2010/01/05(火) 21:43


「へ」は「遍」。「へ」は「閉」。「へ」は「邉」。
「へ」は「弊」なり。「べ」は「辨」濁
音也。
「と・と」は「止」訓なり。「走」を「は」に
もちふると同じ。「と」は「登」。
「と」は「東」なり。
「ち・ち」は「知」。「ち」は「遅」なり。
「り・り」は「利」。「り」は「里」。「り」は「理」。「り」は
「梨」也。
「ぬ」は「奴」。「ぬ・ぬ」は「怒」。「ぬ」は「努」也。
「る・る」は「留」。「る」は「流」。「る・る」は「累」。「る」は
「類」也。
「を・を・を」は「遠」。「を」は「越」。「を・
を」は「乎」。「を」(?)は「弘」なり。
「わ・わ」は「和」。「わ」は「王」なり。
「か」は「加」。「か・か」は「可」也。「か」は「閑」なり。

 「いろは」順の配列から推し測ると、「弘」は「を」と読む事になるらしいが、これがどうにも胡散臭い。手持ちの書道字典にも古文書字典にも「仮名としては」載っていない。何故いきなり出てきたのか不可解である。おそらく今なら誤字と云ってよい。では何故それが教則本に載っているのか。この教則本で学ぶ人々が居たという事は、そこに書かれてある様に読み書きした人々が居たという事になるだろう。
 教則本には様々な規範が書いてある。そして書道は識字学習の規範。つまり「規範が規範である事」それ自体に問題があるとも云えるが、ならば規範から逸脱すればよいかと云えば、そうでもないのは誰だって分かる。しかし規範が「逸脱からの逸脱」を許さない場合、問題は規範の側で噴出するだろう。規範が絶対神の様に振る舞う時、そこでは絶対神の言葉が絶対となる様に。
 だけど(るるるる♪)仮名は、さにあらず。一音多字ゆえの複雑さが言葉の神の相互監視状態を惹起し、また漢字との類似ゆえの複雑さが漢字との差異をも相互監視する。そこには予め相対があり、相対あるがゆえに絶対としての「漢字・仮名」が幻視される。ところが相対なき絶対は、絶対の絶対性を幻視側から現実側へと剥奪する結果に繋がる。絶対が幻視との絆を喪失した時、そこに或る種の権力が生まれる。
 それにしても〜こうして一音一字の現代表記に置き換えていると、この手の教本がなんと無味乾燥に映る事か。字源に戻せば「閑」は「閑」なり…か。歴史の切断を感じながら打鍵せざるを得なくとも、耐える初級アニヲタ野郎は可能な限り蛇足にパンチを効かせたくなるのであった(打つべし、打つべし)。

(「其一」訂正)
 「白蛾の説なり」は誤読で、正しくは「白蛾が説なり」なのだろう。根拠は「蛾」の末画すなわち点が次の字に連綿していく際、そのまま「の」状の起筆部分に直結するのではなく、手前でいったん止まっている箇所にある。つまりそこには予め字画の痕跡がある事になるため、「乃」ではなく「可」の草略だと分かる。また通常「乃」は大きく書くのに対して「可」は小さく書くから、その点でも両者は区別できる。


[365] 巻菱湖『假名字源』(其三) Name:苹@泥酔 Date:2010/01/06(水) 22:42


(「か」は「閑」なり。)
「樂」の草書「楽」とおもへるは、たがへり。
「楽」は「洛」音にとりて、「ら」音に
もちひたり。「か」は「歌」。「か」は
「哥」なり。「か」は「賀」清濁音也。
「が」は「我」濁音なり。
「よ」は「与」なり。「よ・よ」は「餘」なり。
「た」は「太」の訛濁音なり。「た・た・
た・た・た」みな「多」なり。「た」は「刀」なり(上)
なり。
「れ」は「礼・禮」の古文なり。「れ・れ」(三)
(下)といふはたがへり。「刀」は「と」音なり。
「た・た・た」は「當」なり。「た」は「堂」(一)
(四)は「禮」。「れ」は「連」なり。
「そ」は「則」の草書也。「そ」は「即」の
草書也。ならひに「曾」の草書「曾」
とするはあやまりなり。「そ・そ」は
(「所」。)

 途中で行の順番に乱れがある。直せば大体、こんな具合になるのだろう。
--------------------------------------------------------------------------------
「か」は「閑」なり。
「樂」の草書「楽」とおもへるは、たがへり。
「楽」は「洛」音にとりて、「ら」音に
もちひたり。「か」は「歌」。「か」は
「哥」なり。「か」は「賀」清濁音也。
「が」は「我」濁音なり。
「よ」は「与」なり。「よ・よ」は「餘」なり。
「た」は「太」の訛濁音なり。「た・た・
た・た・た」みな「多」なり。「た」は「刀」なり
といふはたがへり。「刀」は「と」音なり。
「た・た・た」は「當」なり。「た」は「堂」
なり。
「れ」は「礼・禮」の古文なり。「れ・れ」
は「禮」。「れ」は「連」なり。
「そ」は「則」の草書也。「そ」は「即」の
草書也。ならひに「曾」の草書「曾」
とするはあやまりなり。「そ・そ」は
「所」。
--------------------------------------------------------------------------------
 「閑」と「樂」の草書は、御覧の通り少し似ている。しかしそこには決定的な違いがある。「閑」の草体では門構えの痕跡を上から覆って残しているのに対して、「樂」の草体ではそれに相当しそうな箇所(=門構え)がただの点(主に「白」の初画部分?)となっている。また「閑」では「木」の起筆となっている部分が、「樂」では「糸」と「木」第一画の複合による「折れ」をなしている。こうした差異が敢えて扱われているのは、「閑」の門構えから木に至るまでの連綿線(虚画)が、「樂」の「糸」左側草略箇所(実画)との混同を誘引しがちになるからであろう。
 「そ」の字源については、これを「曾」とする見方が今は復権している。「則」や「則」を字源とする見方は排除された。どこの高校教科書でも、今はそうなっている。


[377] 巻菱湖『假名字源』(其四) Name:苹@泥酔 Date:2010/01/09(土) 02:11


(「そ・そ」は)
「所」。「そ・そ」は「楚」なり。「ぞ」は「叙」
濁音也。
「つ・つ」は「鬥」なり。「鬥」音「闘」と同じ。
草隷ともに「門・鬥」わかつをなし、
肥人書といふものありて「川」は
此方の文字なりといふは謬妄の説なり。「つ」は「都」。
「つ・つ」は「徒」なり。「つ」は「津」の
訓。津液の字もと「盡」〜従津(?)従血〜
なるを、津渡の字をかり用。
「ね・ね」は「祢」なり。「ね・ね」は「年」なり。
「な・な・な・な」は「奈」也。「な」は「那」の
訛なり。「な・な」は「南」。「な」は「難」也。
「ら・ら・ら」は「良」なり。「ら」は「羅」也。
「む・む」は「武」。「む」は「牟」。「む・む」は
「舞」。「む」は「無」なり。「む・む・む」は「无」
(〜古文「無」〜の省なり。)

 「ら〜ら〜ら〜♪(中略)今日も明日も貴方に〜会え〜ない〜♪」(先日偶々iza桜子ブログの「坦々塾」新年会記事を読んで、何故か負けじと妄想一曲披露の気分有之。後に紅白司会者となるスマップ某が十数年前に主演した料理人ドラマの主題歌より。)
 …閑話休題(汗)。
 「所」の書写体が画像冒頭の形。活字の一画目を長く伸ばした形と見れば、他の箇所の連関も容易に想像できる筈。「楚」の下半分を「之」の形で書くのも昔は当たり前。活字体の「楚」なんて殆ど書かれないってば。
 …そう云や、「鬱」の字が難しいから「憂うつ」と書けとほざく馬鹿者が長らく巷間に棲息しているらしいけど、あれだって本来は活字の「鬱」の方が非常識なんだよな。高校書道教科書に載ってる九成宮醴泉銘を見てみろよ。上部以外は「爵」と同じ形だぜ。なんなら千字文でもいい。「好爵自縻」と「宮殿盤鬱」を見比べれば分かる。
 「つ」の字源は現在、「川」か「州」って事になっている。幕末期は「謬妄」扱いだったらしいが、くずし自体は「門」と同じだから気持ちは分からぬでもない。とは云え「盡」らしき字に至っては、余りの事に「津液」「津渡」共々チンプンカンプン。精妙巧緻で蠱惑的な書きぶりが厄介で、さながら美女の細腰に目を奪われる心地。
 「年」と「手」の区別はビミョー。内部留保の点の数が三つなら確実に「年」だけど、二つに草略した場合が困る。差し当たっては懐抱が広ければ「ね」、こぢんまり纏まっていれば「て」とでもして置くか。
 字源意識が希薄な読み手・書き手だと、誤読の可能性が高まる。…この点、藤原定家は偉かったわいなあ。字はヘタウマ的にボテッとしてるけど、読みやすさの根源をしっかり把握していた。

(「其三」訂正)
【誤】→「則」や「則」を字源とする見方は排除された。
【正】→「則」や「即」を字源とする見方は排除された。


[378] 巻菱湖『假名字源』(其五) Name: Date:2010/01/09(土) 06:57


(「む・む・む」は「无」)
〜古文「無」〜の省なり。「も・も」なりといふ説
たがへり。又「に・に」なりといふ穿
鑿の説なり。いにしへ訓の首
にももちひたるなり〜「むらさき」などの例〜。
「う・う」は「于」。「う」は「宇」。「う」は「雲」
「う」は「有」也。
「ゐ・ゐ」は「為」なり。「ゐ」は「井」也。
「の・の」は「乃」。「の・の」は「能」なり。「の」は
「農」。「の」は「濃」なり。二字いにしへは
「ぬ」音にもちひたり。
「お・お・お・お」は「於」なり。「お」は
「億」なり。
「く・く・く」は「久」の訛なり。「く」は
「九」。「く」は「孔」なり。「く」は「具」濁
音なり。
「や」は「也」。「や」は「耶」也。「や」は「屋」の
(訓なり。)

 草略理論上、「能」の書写体は重要な部類に属するだろう。「ヒ」を上下に重ねるかの様な形からは絶対に、草書や仮名への変奏がなされなくなるためである。そこでは逆に活字準拠の筆順が伝統的な草略経路を阻み、書体間の絆を切断してしまう。筆順無視・篆体以前を潜在的な旨とする文字学(その末裔には漢和辞典が聳え立つ)には、後世の書字史を破壊する可能性が常に付き纏う(筆順不要のワープロ時代は特に)。
 他方、「お」の筆順異体をサラリと「於」に纏めている点は興味深い。本書の「え」では、字源解釈を「兄」と「衣」に分かつ。これと比較されたい。「於」を字源とする仮名を現行平仮名と変体仮名に引き裂いた明治人の行為は、「一音一字」政策を踏み越えて「一字一音」化をも胚胎する結果になったかの様に思えてならないからである。
 この件については差し当たり、他の字例を交えた旧稿を参照されたい(「2004/04/06 00:41」稿が初出↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7658&range=1


[379] 巻菱湖『假名字源』(其六) Name: Date:2010/01/09(土) 07:03


(「や」は「屋」の)
訓なり。
「ま・ま」は「末」なり。また訛て「ま」に
つくれり。「ま」は「万」。「ま」は「萬」。「ま」
は「滿」。「ま」はその半軆。「ま」は
「麻」也。
「け・け」は「計」なり。「け」は「个」なり。
いにしへ「个・介」通用せしなり。
「け」は「希」。「け・け」は「氣」。「け」は
「遣」なり。
「ふ・ふ・ふ」は「不」なり。「ふ」は婦。「ふ」は
「布」なり。
「こ」は「己」。「こ・こ」は「古」。「こ」は「許」。「こ」は
「故」なり。
「え」は「兄」の訓なり。俗にもと「え」といふ。
「元」にてはあらざる也。「え・え」は「江」
の訓也。「へ・へ」はその半軆
(なり。)

 これって、現代字源表記だと「末二川久連利」でいいんだよな…。画像が荒いと二行目末の「に」を「と」と読み間違えそうになる。写真技術が写本技術より上だとは限らない。写真画像がボケたりドットの荒さが目立ったりすると、どんな平易な文字でもたちどころに難読字と化してしまう。技術的差異の本質を先入観や偏見で判断してはならない筈なのに、保守側の人ですら明治以後の表面的呪縛に魅入られ、新技術を盲信しがちになるのだから困ったもんだ。
 今は旧字体が「萬」で戦後の新字体が「万」だと思う人が多いのだろうが、どっこい「万」は平安時代以前から頻繁に用いられていた。高校書道で仮名を真面目に勉強すれば誰でも分かるし、そこそこ読める様にもなる。それが読めないのは書道を選択しなかったか、真面目に勉強しなかったか、学ぶ機会が予め奪われていたか、歪曲教育を受けていたからだ。これは断言してよかろう。
 江戸時代、侮り難し。まさか「え」に「兄」が出てくるとは思わなんだ。…でも、そう云や中大兄皇子って例があったっけ。続く。


[386] 巻菱湖『假名字源』(其七) Name: Date:2010/01/11(月) 07:36


(「へ・へ」はその半軆)
なり。俗に「ゆすりへ」といふ。「え・え」は
「衣」也。俗に「きぬえ」といふ。「え・え」は
「衣」の訛なり。「え」は「盈」。「え」は
「要」。「え」は「愛」なり。
「て・て・て」は「天」。「て」は「帝」。
「て」は「亭」。「て」は「轉」。「て」は「手」訓
なり。
「あ・あ」は「安」。「あ」は「阿」也。
「さ・さ・さ」は「左」。「さ」は「差」也。「さ・さ」は
「散」。「さ・さ」は「佐」の訛。「さ」は「草」。
「さ」は「斜」也。「ざ」は「謝」濁音也。
「き・き・き・き」は「幾」。「き」は「起」也。
「き・き」は「岐」の半軆也。「奇・奇」の
訛なりといふたがへり。
「ゆ・ゆ」は「由」。「ゆ・ゆ」は「遊」なり。
「め」は「女」。「婦・妻」の訓をかりもちふ。

 …続ける。
 ここでは「江」の半体=旁が草略されて「へ」(「え」と読む)の形になったとする解釈らしい。点画をゆする様な書き方だから「ゆすりえ」と云うのだろうか。「衣」の方は漢字を「きぬ」とも訓読するから「きぬえ」なのだろう。覚え方、教え方には古今、様々な工夫があった事が分かる。
 現行平仮名の「て」には、「天」の他に「弖」を字源とする見方がある。ここでは明らかに「天」と分かる草体が例示してあるが、二番目の「て」を「く」(「其五」参照)に近付けて伸びやかに書く様な形の字源が「弖」とされるらしい。「帝」と「亭」の草体は書き方によってはかなり似てくるので要注意。
 「あ」の楷書は期待外れだった。書写体ではワ冠を「女」初画が貫く形で書く。千字文に「言辭安定」の句があるので、そちらを参照されたい。「さ」と「左」の字画対応関係は、三番目の「さ」を手懸かりに理解すればよい。
 「幾」の書写体は下半分が特徴的で、「ノ」が消え左側の形が変わる。これは「母」(「其八」参照)と同様の点画融合例で、左側の形が変わったのは「ノ」が癒着したから。同様の例としては「哉」が典型的(千字文では末句に「焉哉乎也」とある)。〜草書では大抵「幾・哉・歳・成」などの字が「来」系の造字構造へと纏まっていく。これを「戊」のケースで解釈すると、第三画が縦画状に変化する結果、「ノ」が左払いの儘では居られなくなる。そこで「き」例の三番目の様に横画化するか、四番目の様に右払いの草体へと変化する事になる。また「戊」型の内側に点画を含む「戌・成・歳」などの字では筆順も変わり、先ず「戊」末二画を除く骨格部分を書いてから、内側部分、「ノ」(右払い化)、点の順番で書いていく。
 「起」の様な「繞を先に書く字」は偏旁構造に変化する。それに対して之繞や延繞、すなわち「繞を後から書く字」は、「を」末画の様に短く単純化する(「其二」参照)。また「起」の書写体で「走」下半分の形が変わるのは、あくまで「楚」のケースと同じ変奏原理に則っている(「其四」参照)。これは楷書が最後に出来た漢字書体であるところから、行書・草書の影響が強く窺われるのはごく自然な事と云えよう。つまり楷書は成立当初から「隷書の楷書化」のみならず「草略体の正体化」でもあった事になる。そこから草略の影響を排除し、過剰に篆書的理念へと戻ろうとした支那文字学の立場は、予め「楷書の歪曲」という貌も具えていた。従って完成態としての康煕字典準拠思想は、楷書に対する呪いを「楷書の内側で」自ら体現せざるを得ない。楷書に篆書が憑依する点では道教的意図さえ感じられるが、これについては各方面の専門的立場から御教導を願いたい。
 「支」(シ)を「き」と読むのは無理があったのだろう、「岐」(キ)の半体としてある。その後の説明がどう云う意味か按ずるところ、後続の字と連綿する際に生ずる巻き込み(回転)に引きずられて「奇」の草書と似た形に見えてくる。それを戒める意図が菱湖にはあったと思われる。単体で書かれる場合は「又」の痕跡が残るが、連綿すると収筆の痕跡が連綿線の中に溶解するので注意を要する。
 「め」は画像に難がある。現行の平仮名が書かれてあるが、一画目が隠れて見えない。この箇所は各自、脳内で補正していただきたい。


[387] 巻菱湖『假名字源』(其八) Name: Date:2010/01/11(月) 07:41


「め」は「免」。「め」は「馬」。「め」は「面」なり。
「み・み・み」は「美」。「み」は「微」也。「み」は「三」。「み」は
「見」ならひに訓也。
「し・し・し」は「之」。「し」は「新」。「し・し」は
「志」なり。「し」は「事」清濁音也。
「ゑ・ゑ」は「恵」なり。「ゑ・ゑ・ゑ」は「衞」
の訛也。
「ひ」は「比」。「比・比」の訛。「ひ」は「非」。「ひ」は「悲」。
「ひ・ひ」は「飛」なり。「ひ」は「日」訓なり。
「も・も」は「毛」。「も・も」は「母」なり。
「も」は「母」の省なり。「も・も」は
「茂」なり。「も・も」は「裳」訓なり。
「せ・せ」は「世」なり。「せ・せ」は「勢」
なり。
「す」は「寸」。「す・す」は「數」なり。「す・す・
す」は「春」。「す・す・す」は「須」。「す」は

 「み」は「美」の書写体草略。下半分は「火」の形。その「人」の部分が上部の「羊」から繋がり最後に点々の筆順。その最後の点(左払い)が「み」の末画に相当する。千字文に「篤初誠美」の句があるので参照されたい。
 「比」の草書は「ム」を二つ横に並べた形を更にくずした様な形となる(千字文に「猶子比児」の句あり)。その結果「以」と酷似した形となるが、菱湖の説明ではこの辺が曖昧となっている。なお画像中、「飛」草体の隠れた部分には点が打ってある(千字文に「樓觀飛驚」の句あり)。
 「毛」に由来する二つの「も」は筆順が違う。楷書筆順に近いのは後者。本書で書かれてある「母」系統の「も」は「女」の間に点を挟む。よって後の方は「乙・ゝ・ゝ・一」の順番で書かれ、かつ「一」が囲み部分を兼ねる場所的イメージの下、楷書筆順で云う第二画と第五画の混合・溶解がある。全体としてはあくまで「女」が基本であり、その間に二つの乳房(点々)が絡む。
 ただしここでの「母」は一般的な筆順ではない。今の書道字典に載っている形は普通の筆順である。苹按ずるに、「毛」由来の形から影響を受けた解釈であろう。書道字典を盲信すると却って古文書が読めなくなる可能性があるので注意されたし。ところが古文書字典なら大丈夫かと云うと、こちらはこちらで実践的な編纂傾向がやたらに強いので、本書のごとき手習いレベルの字源分析にはなかなか日が当たりにくい。古文書学は基礎以前の基礎を軽視していると云わざるを得ない。
 「春」の草体筆順は、楷書の順番を組み替えると1・4・2・3・5…となる。よって最後の点は「日」に相当する。


[388] 巻菱湖『假名字源』(其九) Name: Date:2010/01/11(月) 07:46


(「す」は)
「素」也。「ず・ず・ず」は「壽」濁音也。
菱湖巻大任

 ここでは濁音と書いてあるが、「壽」は濁点なき「す」でも通用する模様。
 筆者の「菱湖」は雅号で、通名は巻大任。弟子に「菱門四天王」と呼ばれる中澤雪城・萩原秋巌・生方鼎齋・大竹蒋塘が居り、教育書道などの方面では萩原秋巌の功績が大きい。秋巌の弟子に、清朝体活字の字母を書いた小室樵山などが居る。
 因みに福田恆存の父君は、書家でもあった福田秋湖だそうな。そのまた師匠は安本春湖。西川春洞の七大弟子の一人である。その春洞が中澤雪城の弟子。〜春洞の子である西川寧は、豊道春海(春洞の弟子)の薫陶を得て戦後書道界で大いに活躍し、書道界では初の文化勲章を授与された。
 閑話休題。
 巻菱湖は市河米庵や貫名菘翁と並ぶ唐様書家とされる。仮名も含めた手本出版数では幕末随一の規模であり、明治維新を経た後も少なからぬ影響を及ぼした(特に国定手本乙種系統)。新春にNHKがテレビのニュースで流す歌会始の筆文字は、ざっと見た限り大体この系統になっている模様。嘗て大ヒットした朝ドラ「おしん」には田中裕子が手紙文を書くシーンが出てきたが、アップで映った封筒の字も国定乙種系だった。当時の関係者は時代の文字痕跡をよく知っていたと見える。人は死んでも字は残る。その証言能力は極めて高いが、読み取る側に欠陥があるとアッサリ見落とされてしまうから伝統文化の継承は難しい。
 やがて昭和が終わり、今ではNHKも平気で上滑りする様になった。明治以降に入ってきた六朝書風の影響を江戸時代以前の時代劇で露呈する点なんざ、時代考証お粗末な韓国番組ばかりを嗤っては居られない。世に「明日は我が身」と云うが、これは今の話である。〜最近は書道ブームの再来を目論む人々がマスコミを引きつけているらしく、所謂「パフォーマンス書道」が賑やかになってきている。例えば現在放送中の或るNHKドラマなんか興味深い。放送終了が近付いた頃合いに、主演女優の写真集が出るそうな。いまどき水着姿は珍しくないが、書道姿もある(!)となると実に珍しい。ドラマ自体がタイアップ企画なのだろうかと疑いたくなる。
 この美少女写真集は来月発売との事。劣情ウホウホ、買ってみようかと思い悩んで居るところである。(とどのつまり、「NHK批判に絡めた妨害意図はないってば」のメッセージでやんす。)
 …以上の話題を以て、ひとまず正月の集中画像投稿練習を締め括る。


[389] RE:巻菱湖『假名字源』(其一) Name:桜子 HOME Date:2010/01/11(月) 22:15
苹さま

きれいなわかりやすい字ですね。
難しいですが。
参考にさせて頂きます。

其七の「『謝』濁音也。」の次の行が飛んでます。(o ̄∇ ̄)o
「修正」で挿入なさればよろしいのではないでしょうか。


[390] ありがたや♪ Name:苹@泥酔 Date:2010/01/12(火) 01:24


>其七の「『謝』濁音也。」の次の行が飛んでます。(o ̄∇ ̄)o
 あら、本当だ(汗)。ご指摘いただき、有難う御座います。「修正」は初めてだから、色々と心の準備をしてから試してみます。

 ついでに余談も書いとこ。
 いきなり江戸時代のを読むなんてのは、私にとっては外国語を読む様なものなんですね。少し書道を齧った経験がある程度では如何ともしにくい壁がある。そこで昭和、大正、明治と順繰りに遡った方が同時代感覚に近付けるのではないかと、昔こんなの(画像↑)を読んでたりした訳です。ただしこれは或る競書雑誌の中学生向け記事に偶々載っていた図版ですから、原本の他頁内容は知りません。要するに「つまみ食い」ばかりしてきた訳で、あたしゃ専門家ではありませんです、はい。


[391] RE:巻菱湖『假名字源』(其一) Name:桜子 HOME Date:2010/01/12(火) 10:51
苹さま
おはようございます。桜子です。

桜子は今までのことから、何年間ですが、苹さまのこと、ものすごく専門家だと思っております。(o ̄∇ ̄)o
その人のクセみたいなものがありまして、それで漢字の崩しかたが多分不正確なのだと思います。
「開業を祝する文」全然、読めません。


[392] 桜子様に感謝 Name:苹@泥酔 Date:2010/01/12(火) 21:45


 「其七」の追補、どうやら成功した様にて安堵。

(以下余談)
 上記画像は同じく巻菱湖の「七ツいろは」より。…あたしゃ残念ながら、この部分しか見た事ないのよね。どこかの出版社で、「其九」目録掲載の全部を纏めた『巻菱湖版本集成』(仮題)か何か出してくれないかなあ。石碑まで含めると数十倍ややこしくなりそうだし(汗)。巻菱湖記念時代館と代々木文化学園が手を組めば不可能ではなさそうな気がする。二玄社や天来書院が参画してくれるなら、読者としては欣喜雀躍。


[448] 「菱湖遺法帖」より Name:苹@泥酔 Date:2010/03/27(土) 19:43


 慶応三年の出版。冒頭二行については画像中の活字に説明があるので釈文省略。

●「二」…上畫仰。下畫覆。
 横画の反り方の違いを解説。上の横画は仰ぐ様に反り、下の横画は覆う様に反る。
●「上」…「ト」を忌。
 短い横画が右肩下がりにならない様に書く。横画収筆から縦画に向かう筆脈からも、そうなるのが自然。ただし縦画を先に書く筆順では「ト」状になりやすいので、その辺を戒める意であろう。
●「加」…「力」を忌。ひらくべし。
 ここでは「力」の下が狭くなるのを忌む。点画の向きが放射状に拡がるかの様なイメージで書くと懐抱が広くなり、字の規模が雄大になる。のびのび書こうと過度に長くすると却って他の部分が萎縮して見えるので、こうした方向の工夫による空間処理が要る。
●「与」…抱く筆。筆を立るなり。
 今は横画が突き抜ける形で書くが、昔は「馬」と同様の囲む(抱える)形で書いた。また辞書的には「與」が本来の形とされるが、支那でも日本でも昔から「与」の形で書かれていた。王羲之の草書も平仮名の「よ」も「与」の草略である。
●「乙」…始終直筆にして、此處にて大指のまがらぬをよしとす。
 筆を立てて書く。〜どんな意味かよく分からぬが、この手の教本は細字が前提だろうから…或いはハネる時に親指を(ひいては筆管を)手前に傾ける人でも居たのかしら。
●「也」…上に同じ。下よりつき入るなり。
 右隣の縦画収筆(垂露)から左上に繋がる筆順のため「下から突き入る」筆路となる。
●「ウ」…此處に筆を立とるなり。
 左画を斜めに書かない。立てて書く。すると緊張感が生まれ、字の骨格がきりりと引き締まる。…との解釈も出来るが、次の字を見るとそうではないらしい。
●「門」…此處、上におなじ。
 縦画収筆で筆を立てるとの意味ならば、これは次画への筆脈の話であろう。ただ筆を止めるのではなく、次画に向かう動きが筆を上向きに立たせる。
●「有」…ノ、一。
 要するに、筆順に注意。「ノ」の回転していく先に「一」が来る。筆脈が懐抱をつくる。
●「中」…畫の中央より筆鋒をぬき出すなり。
 縦画収筆が左側に寄りながら抜けていくのは行書や草書の生理だが、楷書では真っ直ぐ下に抜き出す(懸針)。
●「王」…平・仰・覆。「美」「春」の類、此勢に従也。
 通常は三つの横画を仰・平・覆の順で書くが、菱湖流では反らせ方が特徴的。
●「(刀)」…上へつき込たる勢にてひくべし。
 立刀では縦画が並ぶ。左側収筆から右側始筆に突き込む勢いが字の緊張感を醸し出す。
●「知」…上の「ノ」啄。下の「ノ」掠。
 永字八法の謂。「永」を構成する点画それぞれに名前があり、点・横画・縦画・ハネ・左下から右上への跳・長い左払い・短い左払い・右払いをそれぞれ、側・勒・弩・テキ(擢の偏が走繞)・策・掠・啄・磔と呼ぶ。
●「田」…土「|・一・一」。
 ただの筆順。〜これだけではツマンナイので余計な一言。千字文を習っていた昔、「田」と「罔」の草書が似ているのに気付いた(鷄田赤城、罔談彼短)。「田」は普通かつ小振りに書く。「罔」はやや横広、囲いを意識的に書く。
●「辨」…「)(」如此。「()」を忌む。
 背勢に書く。向勢にしない。…この解説もツマンナイな。左右の「辛」が一画多い点に注意。昔はこの形で書くのが普通。
●「川」…左右背勢。中、正直なるべし。
 つまり「)|(」の反り方。…「川」の末画収筆は懸針か垂露の形で書くのが普通だが、ここでは鉄柱にハネの加わる形で書いてある。


[450] 「菱湖遺法帖」秋巌跋 Name:苹@泥酔 Date:2010/03/29(月) 19:18


 図版は萩原秋巌の書いた跋文。ざっと見たところ釈文は下記の通り。

書肆寶善堂得之於故紙中上梓欲問世名曰
菱湖遺法帖屬余題一言余受而攬之則菱湖
先生曩昔繩削其門人之臨書者也其用淡墨者
即門人之書而其用濃墨者即先生之所改正也觀者
當以濃墨爲正格巻不拘詩文之序次者其要在
寶惜先生之墨蹟耳臨池君子庶頼之均思
思盈半矣未必非攻書之助云
慶應丁卯春五月念五日 秋巌原キ(※)識
(※)「キ」は「羽」の下に「軍」で、秋巌の名。「萩原」を「原」一字に略すのは支那式の模倣にて、こうした署名が文人の間では通行した。

 誤読があるかも知れない。〜教職を離れて年々、当方の国語力たるや衰退の一途を辿るばかりにて、読み下しの自信無之候。乞批正。頓首。
「書肆(版元の)、寶善堂。之を故紙中に得て上梓し、世名を問て「菱湖遺法帖」と曰はんと欲す。屬(委嘱)ありて余、一言を題す。余、受て之を攬ずれば則ち菱湖先生の曩昔繩削(昔の添削)にして、其の門人の臨書せる者也。其の淡墨を用ふる者は即ち門人の書にして、其の濃墨を用ふる者は即ち先生の改正せる所也。觀者は當に濃墨を以て正格の巻と爲すべし。詩文の序次に拘はらざるは其の要、先生の墨蹟を寶惜するに在る耳(のみ)。臨池君子(書を学ぶ諸賢には)、之に頼りて思ひを均しくせんと庶(こいねが)へども、思ひ盈(み)つること半ばなり。未だ必ずしも書を攻(おさ)むるの助に非ずんばあらずと云ふ。」

(2010.3.31深夜補記)
 一行目「問」字が抜けていたので訂した。〜六行目「蹟」と読んだ字には疑問が残る。初めは「讀」と見たが、訓読に困ったので誤読を疑った。しかし「蹟」では旁の主画が造字構造上の理屈に合わない。これもたぶん誤読だろう。


[451] 「菱湖遺法帖」添削例 Name:苹@泥酔 Date:2010/03/29(月) 19:27


 淡墨の字は菱湖門人の書。それを師匠の巻菱湖が濃墨で添削したかの様な形で印刷されている(実際は濃墨でなく朱墨による添削か?)。
 この「菱湖遺法帖」は、菱湖の死後二十四年が経ってから出版された模様。前後に西川春洞の序と萩原秋巌の跋があるらしい。〜秋巌跋については>>450を参照。


[499] 古文の図版(「十體字樣」より) Name:苹@泥酔 Date:2010/05/31(月) 21:40


 萩原秋巌は巻菱湖の遺稿「十體源流」を三回忌の弘化二年(1845)頃に出版したものの、図版がないので嘉永六年(1853)に「十體字樣」を出版。

[500] 古文〜蛇足(中林梧竹) Name:苹@泥酔 Date:2010/05/31(月) 21:42


 明治時代の例としては、中林梧竹が青銅器銘文の臨書をいくつか残している。図版は季刊「墨」スペシャル19『中林梧竹』(芸術新聞社)P.69より。
 なお、同じく梧竹が書いた「天照皇太神」幅の図版は>>428で出してある。


[718] 高斎単山書「本朝三字経」冒頭 Name:苹@泥酔 Date:2011/06/15(水) 21:18


 画像は明治九年三月に出版された埼玉県の教科書。下等小学校は八級から始まり半年に一級ずつ進級したとの事ゆえ、満六歳か七歳くらいの学童が学んだのだろう。
 高斎単山は巻菱湖の門流、萩原秋巌の弟子。

(以下、逸話。)
 …三の輪(台東区)の近く、荒川区南千住二丁目にある浄閑寺に、自然石を削って建てられた秋巌の墓がある。そこには亡くなった年月の他に「単山書」と表側に入れてあり、墓としては珍しい造り方となっているとの事。墓の字を彫ったのは石工の広瀬群鶴で、その名まで表側に入れてあるそうな。
 群鶴は秋巌のお気に入りの石工だったが或る日、墓の字が違っていると言われ(口車に乗せられて?)酒を呷るや、字を書いた単山の家に怒鳴り込んだ。単山は群鶴の酒癖の悪さを知っているから居留守を決め込んだが、一向に帰る気配がない。応対したのは当時単山の家に住み込んでいた高田竹山。家人が群鶴に一升瓶で酒を振る舞うと湯飲み茶碗で飲み出した。やがてすっかり酔っ払った群鶴は竹山に字を書けと迫り、仕方なく書いてみせたところ「小僧、なかなか出来るな。よし、これを綺麗に彫ってやろう」とその紙を懐にしまい、ふらふらと帰って行ったそうな…。


[777] 巻菱湖「古今集序」 Name:苹@泥酔 Date:2012/08/01(水) 20:32


 巻菱湖の仮名は晩年の作に多く、この辺が本領であるらしい。


  




■<藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告 (平成20年7月20日現在)

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怪文書4及び怪文書5に使われた原文



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