東 京 支 部 掲 示 板


   全国の善男善女が書きこむ板です。
 
 『新しい歴史教科書』が文字通り新しくなって生まれ変わりました。
歴史教科書刷新の運動は新たな時代に突入致します。
伝統に学んだ豊かな知恵を集め、汚れのない心で若い世代を育てましょう。


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[52] 岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/06/27(土) 21:22 [ 返信 ]
数学者 岡潔の世界より

その1 情緒と創造
すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。
これに対して「すみれの花はいいなあ」と見るのが情緒です。この情緒は先験観念です。
私たちの価値判断は、本当はこの情緒から来ていると思うのです。
ところで、情緒が一つの先験観念になっているか、というようなことに言及しているものは仏教以外にないのです。文化・宗教を通じて仏教以外にないのです。


[54] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/06/28(日) 09:26
その2
* 子育ての極意は「情緒豊かな」子供を育てることと言えそうです。情緒障害という言葉があります。学習中急に立ち上がり、廊下を100b全力疾走をする、などというのが情緒障害に相当します。母乳で育てられた子供には、情緒障害はみられないそうです。母乳を飲む赤子の顔はまるで慈母観音にすがっているような心身脱落のすがたです。たっぷり母親の愛情を受けて育てられた子供に情緒障害は無縁です。ということは、子供の情緒障害は親に責任があるということが言えそうです。しかし今の世の中、平気で育児の社会化、ミルク哺乳を奨励する学者、専門家がいるから変わりました。いや、恐ろしい時代になりました。


[55] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/06/28(日) 12:15
その3 大自然と平等性智
かぼちゃの小さな一粒の種は、約半年後の変化までその中に秘めているのです。そのようなものを人はつくることもできなければ、説明することもできません。この不思議まで見ることのできる人が自然を見ますと、単に自然を見ているだけではなく、自然あらしめているものも同時に見ているのだと思います。この自然と自然あらしめているものを合わせて、大自然というのです。大は、大きいではなく、絶対という意味の形容詞なのです。
私たちが花園を実感と見たり、あるいは情緒と見たりすることを可能ならしめているものを、仏教では大自然の叡智であると見ているのです。それを他のものと間違わないために「真智」と呼びます。この真智のうちで実感あらしめているものを、平等性智というのです(*こう見ると、自虐教科書を選択する教育委員なる人たちは、「真智」ならざる「邪智」の持ち主と言えそうです。★その見方は事実ですが、まだ肯綮に当たる論とは言えません・・これについては、あらためて。日本社会を覆う根本問題はないかをもっと真剣に問い詰めなければいけないと思います)。


[56] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/06/28(日) 12:17
その4 大円鏡智
情緒を見させているものは、これを大円鏡智といいます。情緒は大円鏡智に由来するがゆえに先験観念なのです。自然を大円鏡智と見る見方は、口に出してだれも明らかにしていないようです。
もう一つの不思議があります。まことに人とはふしぎなものです。
わたしがふらっと立ち上がります。・・ホラ、立ち上がったでしょう。これはわたしが立とうと思ったのです。これは一つの情緒です。立とうと思うと、四百いくつかの筋肉が、同時に統一的に動いて、じっさい立ち上がるという動作を実現します。


[57] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/06/28(日) 18:08
その5 無生法忍
そのはじめの立ち上がろうという気分ですが、これは一つの情緒(意志的情緒)です。だから情緒がただちに物質によって四次元的に表現されたことになるのです。・・私たちは、それを意識していないのですが、きわめて具体的に情緒を物質にする。つまり物質によって四次元的に表現する力をもっています。仏教の修行で、大自然の理法を悟るという悟りの位があります。「無生法忍」(むしょうほうにん)といわれている、極めて高い悟りの位です。人は無意識のうちにこの無生法忍を得ているから、ただちに情緒を物質に四次元的に変えることができる、とわたしはいいたいのです。


[58] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/06/28(日) 19:05
岡潔を詳しく知りたければ、
http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/oka.htm
を参照ください。
ところでこのシリーズは教育論です(念の為)。


[62] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/06/29(月) 10:37
その6 生後8か月と無生法忍
わたしは数学をやっている関係から、数の観念が出る以前よりも、出てからあとのほうに注目しますが、人のおいたちでいえば、生後8か月で無意識的に無生法忍を得ます。この無生法忍という悟りを得ている人がすでに少なく、越えていられる人はめったにいない。それを文章として残しているなかで、たった一つ、わたしの求める文章があるのです。それが道元禅師の「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)です。
これは、わたしはひじょうに貴重な文献であり、新しくひらいていく文化の分野の先達はこの人だと思っています。
*禅は文字の知識を軽蔑し、究極の実在を直接に把握するためには、最も有効な手段だと修禅者たちが確信する直感的理解を唱道した(鈴木大拙)。


[68] 情緒をきれいにする Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/01(水) 08:46
その7 発端と結論がわかっていて中がわからない
わたしは数学をやっています。情緒を数学という形に表現しているのです。どのように表現しているか、というところはわからないのです。無意識の無生法忍を使うわけです。つまり発端と結論がわかっていて中がわからないのです。大自然にまかせてその理法によって表現します。・・
赤ん坊がその情緒を自分の肉体に表現します。これなら32か月で全部できるようになります。その赤ん坊は一生それをひきのばしてやっていくのです。
人がいちばんしなければならないことは何か。その情緒をきれいにすることです。その情緒ですが、わたしは情緒を「いのち」の一片だと思っているのです。


[69] 知情意の区別 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/01(水) 22:37
その8 真智、分別智、邪智
その花は青でとかといいましたが、これを分別智といいます。理性の世界の智はみな、分別智なのです。それから、ふつう自我といって自分と思っているものですが、その自分とはなにかと聞かれると答えられません。人は自分というものがはっきりあると思っています。それでご想像がつくでしょうが、これは本能なのです。
自分と人との区別があると思い、人を捨てて自分を取るということも進んでする。そういう本能なのです。自我といっているものの正体がそれです。仏教ではこれを無明といい、生きようとする盲目的意思だと教えています。
この自我が智力にまじると、もはや分別智より悪くなります。すなわちこれは邪智です。すべて智ということばでいっていますが、知情意のいずれにも、真智、分別智、邪智の区別があるのです。


[70] 心すべきこと Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/02(木) 07:37
*このシリーズはもう少し続きますが、心すべきは、日本民族の仏教的心性は日本独自に洗練されたものであり、隣の国ではなかなか通用しにくいものだということです。儒教がある、仏教もあるでしょう・・・というのはウソで、それぞれの精神にしても、日本という独特な土壌(縄文1万年以上にも及ぶ)で文明的に換骨奪胎され、日本的に、高度に昇華されたものです。とかく「みな同じでしょう」・・という日本人が陥りやすい短絡的判断は要注意です。現実は現実、心を鬼にして対峙してゆきましょう。

[80] 人を恨むなかれ Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/04(土) 21:15
その9 情緒の濁り
喜怒哀楽は悪いものばかりとは限りません。普通は悪いので、邪智なのです。これは情緒と呼ぶべきではなく、情緒の濁りと呼ぶべきものなのです。
情緒の濁りはいけない。情緒は喜怒哀楽によって濁ります。
「人を恨む」というようなことをするとひどく濁ります。
情緒は、できるだけ清くし、美しくし、深くすることです。なかでも深みをつけていくことが大事です。これが人類の向上だと思うのです。
★運動もやたら「人を恨む」ような小我に陥ることなく、正しいことをおおらかに、淡々と進めることが肝心です。私たちはサヨクのオバカさんたちと同じレベルにならないよう心しましょう。


[82] 文化と悦び Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/05(日) 09:11
その10 文化と悦び
「いのち」の内容が、人の真の悦びだと思います。その心の悦びをかてとして、わたしは数学をやっているのです。心の悦びには、だいたい2種類あります。一つは生命の充実感がもたらすもの、もう一つは発見の悦びです。この発見の鋭い悦びは、まるでなにか砂糖分が対内に長く残っているといった感じの悦びなのです。このことに言及している文献が、漱石先生が和辻哲郎氏に書いた手紙です。
「自分はこのごろ、午前中の創作活動が午後の休息のときの肉体に悦びをあたえるのを例としている。自分は、芸術はここまでこなければうそではないかと思う」
★芸術に限らず、何事もこの域に達したとき、生命の充実を感じるのではないでしょうか。教育の大事なヒントがありそうです。


[92] 教育はどうすればよいか 小学校以前 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/06(月) 06:04
その11 教育はどうすればよいか 小学校以前
ちゃんと教育するためには、そのまえに準備として、じゅうぶん大自然のやり方による育て方を研究しなければいけない。
この現在の知識の範囲内で、できるだけよい教育を考えて、そしてそれを実施しなければならない。・・この日本には四季がありますから、何月生まれの数え年いくつといわなければ不正確だと思う。教育を始めてからあとは4月に入学ときまっているのですから、なおさら数え年でないと意味がないと思います。
以下、生後8か月から、始めたい。


[99] 生後8か月 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/06(月) 22:53
その12 生後8か月
生まれて40日たつと目が見え始めます。このときは「見える目」一色(ひといろ)です。
60日になりますと、もはや、目を二色(ふたいろ)に使い分けます。
母親の顔を見るときは、「見える目」で『見ます。
他人の顔を見るときは、「見る目」で見ます。
この「見る目」が無明といわれている本能なのです。
ちいさな子供が驚くべき速さでいろいろなものやことを学びますが、
どうしてそういうことができるかというと、「見える目」でものを見て、「見る目」を使わないからです。
★ここ、大事なポイントです。
*出典: 『風蘭』(岡潔著・講談社)


[112] 教育の根本 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/08(水) 19:19
その13 教育の根本
窓はいつもあけ放されているから、はいるべきものはどんどんはいるというふうになるのです。
「見る目」というほうは窓を閉ざしているのです。だからなにもはいらないのです。
これは教育の根本です。
生まれて8か月ぐらいたつと、それまでは部分的だったのが全身的な運動をするようになります。
これと同じ頃、ものの数がわかるように見受けられます。鈴を鳴らしてみせると二度目、三度目で感じが違う。一度目は知覚が働くと思うのです。二度目は認識が働くのでしょう。三度目をやると、何度でもやってみせろといいます。
これは意欲が働くのです。
知覚・認識、これらはみな大脳側頭葉の働きです。
この意欲だけが前頭葉の働きです。
このころ数がわかるということは、順序数がわかるらしい。


[115] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/09(木) 08:21
その14 閑話休題
★ この忙しい時代になぜ、のんびりした話題を?とお思いの人もいることでしょう。
しかし、こういう人間の心をゆっくり学ぶことも、心のインフラつくりに必要と思うからです。現在意識を支えるのは潜在意識ですから。
たとえば、アメリカを奔馬とすれば、奔馬は現在意識にたとえられます。その奔馬を御する御者を日本に置き換えれば、御者は潜在意識かもしれません。御者あっての奔馬、面白いと思いませんか。日本人は性格上、多くは奔馬になれません。されば、御者の知恵を身に付けて奔馬を使いこなせばいいわけです。そんなことも考えながら、読んでみると面白いのではないでしょうか。「ゆとり教育」などというものは、奔馬ひしめく国際状況の現実を知らない、戯け者が考えることです。
岡潔さんの文章を読みながら、いろいろなことが頭に浮かんできます。決して仙人の真似をしているわけではありません。


[117] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/10(金) 10:47
その15 生後16か月前後
順序数がわかってから、自然数の一がわかる。菓子なら菓子を手で持つときは、かならず一つ持つのです。もう一つの菓子をやろうとすると、前に持っていたのを捨てて新しいのをつかむ。種々雑多なこと身につけるためには、どんなときにでも、一時に一つということを忘れてはいけないのだろう。
一を本当に見につけてしまうことは、ひじょうに難しいことらしい。当初「ほたほた笑う」子が、16か月たったとき「にこにこ笑う」ようになっていた。自然数がわかると、ほたほたが、にこにこに変わるのだな、と思いました。つまり自分というものがわかるのでしょう。この辺に大脳前頭葉のオリジン、真のオリジンがある、そう思ったのです。


[127] 訂正 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/12(日) 18:11
その16 訂正
この16か月ぐらいまでの育児方法をよくみていると、その理性がどんなふうにして出て、どんなふうに育てられてゆくものか、じゅうぶん教えられるような気がするのです。
前に、無生法忍を無意識的に身に付けるのは8か月かかるといいましたが、これは16か月に訂正しなければなりません。


[130] 生後32か月まで 育児日記の大切さ Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/13(月) 21:30
その17 生後32か月まで 育児日記の大切さ
 
生後16か月についで、ひじょうに注目すべき時期にはいります。それは、32か月の後半の16か月です。このころのありさまは、人ひとりひとりすっかりちがうと思います。
わたしはおかあさんがたにおすすめして、この時期の育児日記をつけてほしいと思うのです。
自分がどう育てたとかどう大きくなったとか、なにもそんなことではなく、純粋童心は繰り返しによってどういう型を用意したか。それをできるだけ見て書きつける。なにもおとなのことばになおすことはいらないのです。
特徴と思われるものを、書きしるしておいてやってほしいと思います(この先は、あす以降、お楽しみに)
*幼児の育児がいかに神聖なものか、よく分かります。
お母さまがたへ(これからご結婚されるお母様予備軍の女性の皆さまへ)
進歩的育児法などに惑わされることのなきよう・・・
*ついでに、「賛嘆日記」「日時計日記」というものもあります。これについてはのちほど。


[131] RE:岡潔の世界 その1 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/14(火) 07:20
その18  男・女性の違い
日記をよく観察すると、男・女性でもひどく違っていることが分かります。ここをよくみると。男・女性をごちゃごちゃにした教育などというものは、いかに天理にもとるものであるかわかってもらえると思います。
16か月でいちばん目につくことは、繰り返し遊びの遊び方が、男・女性でははっきりちがっていることです。
これはもうむかしからだれも知っていることで、女の子はお人形が好き、ままごと遊びが好き、じっとすわって空想の世界にひたる。こういう遊び方をします。
一口にいって、女の子はすわって情緒の世界にひたるのが好き、男の子は運動が好きなのではないか、そう思います。
なによりも、教育者は、男・女性がここでこのように截然と分かれていること、ならびに、そのおのおのの特性、それをよく学び取っていただきたいのです。個人的な特徴といっても、普遍的な男・女性の別のなかにあるのであって、もちろん、ときに例外はありますが、たいていは、この普遍性をしってのちでないと、個性というものはわかりません。


[137] 小学校に入るまで Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/16(木) 07:54
その19 小学校に入るまで

子どもが純粋に童心の世界にいるあいだ、つまり三つまでは、これは、親はどうすることもできません。
そして四つになると自然数が分かります。時間・空間がわかり始めるのです。一つの記憶においては、情景が立体的に思い出せる。時間・空間がここではもうわかっているわけです。
四つを超え、純粋童心の世界(三つまで)にはいると、まるで音楽の言葉の世界へ行ったような気がします。
以上は自分の記憶をたどった結果です。


[144] 四つ、五つ、六つになると・・ Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/17(金) 19:00
その20 四つ、五つ、六つになると・・
四つになると、自然がわかりはじめます。
 「真如一転して世界となり、再転して衆生となる」
 (真如=大自然の本体、世界=自然界、衆生=社会)
五つになると自他の別がわかります。
六つになると、寄って遊ぶようになります。本当の社会はここから始まるのです。
 この年頃の子どもは、こんな質問をします。
 「どうしてここに坂があるの?」
 「なんてばかなことをいうのだろう、この子は」などと思ってはいけません。この芽を
 ふみにじってしまってから小学校にいれたのでは、先生が教え方に困ることになります。
 以上が小学校にはいる前のありさまです。


[147] 大脳前頭葉と大脳側頭葉 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/18(土) 07:29
その21 大脳前頭葉と大脳側頭葉
時実利彦さんの「脳の話」(岩波新書)によると、大脳というのは脳幹部もはいるのです。
大脳の働きのうちで、総合的な働きが大事ですが、共通の場がなくては困る。
これは大脳前頭葉と、大脳側頭葉に二つになります。
側頭葉は記憶・判断をつかさどり、前頭葉は側頭葉に命令すること、および感情・意欲・創造をつかさどるのです。
大脳側頭葉は、これを取り去っても人は死にません。しかし、取り去ると衝動的生活しかできなくなります。この衝動的判断は修羅の行為です。人のすべきことではないのです。
ところが、この衝動的判断は四つになるとすでに出ます。憎しみに基づく衝動的判断は絶対に取らなければいけません。
★衝動的判断ですが、民族、文明の程度によっても差があるのではないでしょう・・・。


[148] 訂正 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/18(土) 07:39
★衝動的判断ですが、民族、文明の程度によっても差があるのではないでしょうか・・・

と訂正します。文明とか地政的環境とかは無視できません。民族同士の相克は長いスパンで考慮しないともやに包まれたままになります。


[149] 父母の役割 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/18(土) 08:07
その22 父母の役割
四つの後半にもなると、ねたみ・・このねたむという行為は衝動的判断です。これはかなり普遍的で、そして悪質なものです。そして女の子に多いのではないかと思います。そういった衝動的判断が出たら、それを抑止することを、大脳前頭葉にさせなければいけない。
抑止は大脳前頭葉の固有の働きです。この力が強くなればよい。
それには、もっとも悪質なものを選んで、それを躾ればよろしい。
四つでは、衝動的判断のうち、悪質なものを抑止することを躾けなければいけない。
生まれてからだいたい四つになるまでは母親の受け持ちですが、四つのころは、父母共同の受け持ち、そして五つから七つぐらいまでは、父の受け持ちです。
はっきりこう仕分けなければいけないというのではありませんが、そうすることが望ましいと思うのです。
とくに、三つまでの子に母が欠けているということは、その子にとってひじょうに不幸なことだと思います。できるだけそれを補うことを、くふうしなければいけないでしょう。
★子の教育はいかに智恵≠ェ必要かを考えさせられますね。


[154] 四道とネット犯罪 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/19(日) 04:53
その23 四道とネット犯罪

五つのになると自他の区別がわかります。自分をさきにし人をあとにする、というような衝動・感情・欲望、これをみなおさえなければいけない。
古人のいった六道というものがあります。六道には修羅・畜生・餓鬼・地獄の四道があります。
衝動的判断をおさえると、だいたい修羅へはいかなくなります。
慈悲心が欠けると畜生道へゆかなくなります。
肉欲・我欲をほしいままにすると餓鬼道へ行くのです。
だからそういう欲望は恥ずかしい≠ニ思うようにしむけなければいけない。
物質現象以外になにもないと思うのは、堕地獄の因です。小さい子にそういう考えは出てくるはずもないから、残忍性は厳重に取り除いてしまわなければなりません。
★ 最近流行のネットによる「低劣な内容」の書き込み。これは餓鬼道の典型です。そういうことをする幼い魂の持ち主は、教育の被害者かもしれません。どうであれ、そういう書き込みを思いついた瞬間から、無限地獄の道に入り込みますから、あわれです。作為の罪です。
「怪文書」などに手を染め、その行動を支援した人たちも、地獄道に踏み入れたということが言えるでしょう。そこから抜け出る道はただひとつ。懺悔しかありません。それができるかできないかが、人生の分かれ道です。


[155] 父親の役割 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/19(日) 05:48
その24 父親の役割

衝動的判断は、全面的に抑止するようにするとともに、
父親は、男の子には人生の理想というものを、
女の子には憧れというものを、少しづつ話してやるとよいと思います。
女性には、心の悦びというものがよくわかるようにする。
男性ならば、人の志気というものを持たせるようにします。
花にたとえるならば「色香も深き紅梅の」というのは、これは心の悦びでしょう。これは女性にだんだんもたせるようにします。梅の匂い、花のかおりですが、それは男性の志気に相当するものでしょう。
憧れと理想、これを父親がすこしづつあたえてやるとよいと思います。
父親がない場合には、えてしてこれが欠けがちですが、母親がこの教育をやらねばならないわけです。
こういうことが躾です。
★こういうことも、できれば朝の時間を活かすのがいいでしょう。午前は理性の時間帯、とりわけ早朝は、霊気満ちる時間帯ですから、すっと子の心に入ります。


[156] 寺小屋教育に学ぶべし Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/19(日) 10:57
その25 寺小屋教育に学ぶべし

教育は大自然に見習うべきです。
寺小屋教育というものがあります。そこでやった素読と字を覚えさせる教育を復活させるのがいいのではないか。やりとすれば五つから八つのとき。
わたしには、六つのとき、開立の九々を一晩でわけなく覚えてしまって、いまだに忘れないでいるという例があります。
*教育者や教育学者たちは、たとえ知らずにやったまちがいでも、教育の問題でまちがいをやれば、その責任は負わねばなりますまい。
わたしは寺小屋式の教育は復活したほうがよいと思います。
幼稚園へやったりすると、衝動的判断をむりにつけてしまいはしないかと恐れます。
どうすれば衝動的判断ができるようになるかと骨を折っているのが、いまの教育でありかのようにみえます。
これは子を修羅道へ導こうというもので、地獄道へ行きやすいのです。
★ 大失敗の「ゆとり教育」を断行した文部省の役人は、その後責任を負ったという話を聞きません。役人社会は、誰も責任をとらない組織のようです。そのうち鉄槌がくだされるでしょう。誰も言わないから見過ごす⇒一番卑怯な態度です。


[157] 当用漢字 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/19(日) 12:39
その26 当用漢字

当用漢字には、趣を表す字が著しく欠けています。それでは。人の心は育ちません。
たとえば、天地悠々という言葉があります。
悠というひさしいは、時間を超越するという趣ですが、こういう趣なしに、だいたい具体的にものを著す字ばかりそろっています。これは大変な問題です。
趣は情緒です。情緒は、情緒の中心を通して、ただちに子どもの大脳、その具体的ないろいろなものになる。
だからそのくにによい情緒がおこらないということはたいへんな損失なのです。
寺小屋式教育で、どういうものを素読させればよいかといえば、文学・歴史・倫理などから選んで、なるたけ"意味抜き≠ナ読ませ、それを"覚えさせる≠ニよいと思います。なるたけ口調のよいもののほうがよいと思います。
★占領軍指導による漢字制限を後生大事に守る国、かなしいかな、それが敗戦国日本のすがたです。その後、多少は漢字も増えたようですが、それでも漸進的な歩みです。まだ抵抗勢力がいるのでしょう。小学校から英語教育を、などと吠える人たちはその仲間でしょう。


[163] 成所作智 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/20(月) 14:24
その27 成所作智

古人は、真智の働き方を成所作智(じょうしょさち)といったのです。
大自然の成所作智が働いて、花が美しいと分かる。しかし、花や葉の色が分かっても、それが美しいとはなかなかわからない。
きれいだと分かるのは、妙観察智です。
ここのところに、大自然が人の子を教育しようとしているのを手助けする人たちの、まちがった独断があるのです。
頭を使えば知情意できる。しかし、真智が働かなければ、知情意はできないのです。
前段で、智は三つに分かれると説明しました。
すなわち
真智・分別智・邪智 です。
分別智・邪智も真智がまったく働かなければ働かないのです。 


[164] 悟りの言葉 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/20(月) 15:09
★現象世界は変転きわまる世界。真贋の混交せる魑魅魍魎の世界でもあります。
しかし、悟りを得た先学の言葉には教えられるものがたくさんあります。
ときには、世間から離れて、次のような言葉にも耳をすませてみましょう。
「父母未生以前本来面目如何」
「説似一物即不中」
「声前一句千聖不伝」


[166] 雨に聞き入る Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/21(火) 22:36
その28 雨に聞き入る

人というのは、大自然のあやつり人形なのです。だから、よく教育するということは、大自然がよくあやつれるようなあやつり人形をつくることを、人が手助けすることです。
私は数学をやっておりますが、数学は文化のうちの学問と呼ばれるもののひとつです。
私は一つの論文を書くのに大脳前頭葉を働かせるのですが、このごろは情操型研究と呼ぶ研究法でやっています。
東洋人はこの方法でやるのがいいと思っています。
それは、雨にじっと聞き入るといったのに似ています。


[169] 真智の活用 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/22(水) 11:00
その29 真智の活用

そのさい、雨は分別智です。分別智がまったく働かなければ、からっと晴れた青空になるわけです。しかし、むしろ雨がすこし降っているほうがなんだかじっくりする。それで情操型発見というようなことをいうのです。
それに対して、インスピレーション型発見というのは、分別智がまったく働かなくなった瞬間に、真智が雲間から急に青空が出る如くに働くのです。
邪智は使ってはいけない。
分別智は、すこしは使わなければいけない。
真智は使えるだけ使わなければいけない、ということです。
★怪文書ファックスなどということが邪智の類であることはおわかりでしょう。


[171] 教育の3期 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/23(木) 06:51
その30 教育の3期

大自然が人の子を教育する仕方ですが、大きく三つに分かれます。
第一期は、小学校の1,2,3,4年で、この4年間に情緒の調和をつくりあげます。本質的には純粋童心の時代にできあがっているのですが、それよりも、もっと外に投影するのです。自然界とか社会とかいう外界に投影して、外界的に情緒の調和が現われるようにする。
第二期が小学校1,2,3年、高等学校1,2年の7年間です。7年かかって知性をつくりあげる。大脳前頭葉の働きが外界に現われる。
第三期は高等学校3年、大学1,2年の3年間です。この期間は、できるだけ自由に自分を掘り下げ、自分の守る道義をつくり、理想像の最初の素描をさせ、行くべき場所を選ぶ準備をさせます。


[180] フランスと文化 Name:東京太郎 MAIL Date:2009/07/27(月) 22:22
その30 フランス

フランスが文化的に高いというのは、大脳前頭葉が覚えておれと命じたあいだだけ、側頭葉が覚えていることと、済んでしまったら忘れることと、これがうまくいっているからではないかと思います。
日本の教育も文化的に進んでいる、といわれるようになりたいものですね。
なにしろ今の日本は「国じゃない」といわれていますので、国にそんなことを求めても無理という状況です。

しばらく、お休みとします。また気が向いたら発信します。まだまだ面白い話もあります。
ご要望があれば続けますが・・・



  




■<藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告 (平成20年7月20日現在)

怪文書1  怪文書2  怪文書3  怪文書4 怪文書5  怪文書6

怪文書4及び怪文書5に使われた原文



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